学生&卒業生インタビュー第15弾【編集者/家庭教師/クリエイター・山田 ひさみさん】

2017年06月22日


学生&卒業生インタビュー第15弾となる今回は、1985年卒業の、山田ひさみさんにお話を伺いました。大学時代は教職課程を履修しながら、海外タレントのファンクラブ会長をつとめ、家庭教師や広告会社のアルバイトもしていたという「よく学びよく遊びよく動く」大学生活を送ったという山田さん。現在もフリーライター、イラストレーター、編集者、家庭教師など多方面で動き回っていらっしゃるとか。そんなたくさんの顔を持つパワフルな卒業生に、インタビューをさせていただきました。


山田ひさみ
1985年 武蔵大学人文学部日本文化学科(現 日本・東アジア文化学科)卒業。教職課程を履修し、中学校教諭一級普通免許状・高等学校教諭二級普通免許状(教科:国語)取得。
卒業後、ベビー・子ども服メーカーに入社し、ディスプレイ専門職として勤務。
1988年 広告・編集プロダクションに転職。ライター、イラストレーターとして勤務し、業界の基礎を学ぶ。
1991年 フリーランスのクリエイターとなる。
現在はクリエイターに加え、家庭教師、難病生徒の介助員もしている。

 

紆余曲折、自問自答を繰り返しての進路選択。選んだ道は武蔵大学に続いていた。

高校時代は剣道部、生徒会と活動していたものの、気持ち的には『ふわふわしたまま楽な方に流される毎日』を送っていたという山田さん。高校の文理選択では理系大学進学希望としながらも、どうにも居心地の悪さが拭いきれず、日々悶々としていたとか。武蔵大学へは紆余曲折の果ての進学だったそうです。

――もともと理系だったと伺いましたが、文転したのはなぜですか?
高校時代、とにかく古典が大好きだったのですが、それと同じくらい理系科目や美術も大好きだったので、自分がどの分野に行ったらいいのか、全然わからなかったんです。文理傾向の適性診断テストを受けても、いつもどっちつかずのド真ん中のポジションで、決め手に悩んでいました。
高校3年生のある日、大好きだった物理の先生に相談したところ、『あなたが一番美しいと思う世界へ行きなさい』とアドバイスをいただきました。『僕は、物理の世界が一番美しいと思ったから、物理を選んだ。あなたが心の中で美しいと思っている世界が、一番あなたを呼んでいる』と。その後、繰り返し繰り返し自問自答し続けた結果、私は何よりも古典の世界が美しいと思ったので、高3の夏に文転をするという、周囲には理解不能といわれるような暴挙に出ました。

――武蔵大学に入学したのはなぜですか?
自分が大好きなものは『古典文学』だけではなく、それを取り巻く『文化』だったので、『日本文化』を学べる大学と考えたからですね。当時の武蔵大学には日本文化学科があり、自宅から通いやすく、大学規模が大きくなくて先生との距離が近い……など、自分が求める条件が一番揃っていたんです。

よく学び、よく遊び、よく稼いだ大学生活!

日本文化学科での学びを楽しみながら、アルバイトにも燃えていたという山田さん。卒論は日本思想史でしたが、日本文学、日本語学など、どれも興味深かったと、今も手元に残る演習のレジュメなどを見せてくださいました。アルバイトでは、家庭教師として複数生徒を抱え、長期休暇時には広告会社でも働いていたそうです。
大学3年次からは海外タレントのファンクラブ2代目会長として、会報発行やイベントの企画実施に奮闘!とても濃い学生時代だったようです。



――武蔵で思い出に残っている授業などがあれば、詳しく教えてください!
どれもこれも、ひたすら楽しかったですよー。卒論は日本思想史で、私にはものすごく興味深い研究でしたが、あまり選ぶ学生がいなかったんですよね(笑)。卒業して30年以上経ちますが、武蔵大学時代の友達とはよく遊びます。いまだに『なんで思想史選んだの?』って言われたり、当時の体育の授業での運動音痴っぷりとか、ゼミ合宿での逸話とか、懐かしい話題が出たりします。
そんな中でも特に友達から奇怪に見られていたのは、嬉々として理系科目を履修していた姿だったみたいです(笑)。理系科目も大好きだった私にとって、数学も理科もない生活は考えるのもつらいもので(笑)、1年生で履修した化学実験は、大袈裟でなく私のオアシスでしたね。根津研(現 基礎教育センター)の先生方が私を受け入れてくださり、本当に大切にしていただいたことが支えになって、その後も年に1コマは理系科目を履修することで4年間頑張ることができたと感謝しています。特に、私にとっての恩師・伊能敬先生には、教育実習時の担当をしていただいたり、結婚式にも来てくださったりと、大事にしていただきました。わたしに子どもができたとき『勉強ができる子ではなく、勉強が好きな子に育ててくださいね』と言っていただいた言葉は、私の人生の大きな道しるべとなりました。

※現在も総合科目として「化学ラボワーク」などが開講されています。

↓すべて手書きで書かれたノート。学びへの熱意とセンスが伝わってきます!


↑かわいいイラストが垣間見えます!

――ファンクラブでは具体的にどんなことをされていたんですか?
何をしていたんでしょう……謎です(笑)。80年代は洋楽がミュージックシーンの主流で、情報共有ツールは紙媒体でした。ファンクラブでは隔月で会報を発行していたのですが、毎回40ページ近いボリュームのものをオフセット印刷で発行していたので、めちゃくちゃ大変でした(笑)。会長として年2回以上のイベントを企画実施したり。『彼のコンサートを観にロサンゼルスへ行こう!』とか、彼の初来日には舞い上がって『彼の泊まった1泊30万円のインペリアルスイートルームでパーティーしよう!』とか、まぁクレイジーなこともやりました(笑)。レコード会社公認のファンクラブでしたが、私たちはとてもしっかりした活動をしていると認めていただいていて、ファンクラブ関連で新聞や雑誌の取材依頼があると必ず私が呼ばれました。

 その後、ふたつの会社で経験を積み、フリーランスへ。

卒業し、ベビー・子ども服のメーカー勤務となった山田さん。しかし体調を崩してしまい、3年で退社。その後、ファンクラブ会長として受けた取材が縁で広告・編集のプロダクションに再就職。個人的に仕事が入るようになり、会社から独立します。

――教職課程を履修し、家庭教師もしていたにもかかわらず、教師にならずに一般企業に勤めたのはなぜですか?

教師の道もありかなぁ、と考えていたことは確かなんですが、わりと安易な考えだったんですね。そんなとき卒論指導の先生に『あなたは現場の先生に向いていないよ』とハッキリ言われてしまって(笑)。『あなたは自分ひとりで何とかしようと抱え込むタイプ』と言い当てられたうえに、『学校現場の教師というのは、良い意味で頑張りすぎない人。「自分ひとりの力ではできないので、助けてください」と素直に言えるタイプじゃないと務まらないよ』と。確かに私は、素直に助力を求められるタイプじゃないですから(笑)。これにはぐうの音も出ず、納得して自分の将来を再検討せざるを得なかったです(笑)。

――就活や就職に関して、今の学生になにかアドバイスはありますか? 
実は、我が家の次男も大学4年生で就活中なんですよ(笑)。大学受験にせよ就活にせよ、私たちの時代とは違いすぎてアドバイスも何もって感じですが(笑)。私たちは、履歴書はもちろん手書きの時代です。面接時に「字がキレイだね」と目を止めてくださった会社もありましたね。今は履歴書じゃなくて、まず、エントリーシートに入力ですよね。でも、社会人になると『やはり手書きで』という場面も多々あります。『文字は一画一画丁寧に、大きく濃く書く』は、常に意識の中に持っていたほうがいいかなぁと思います。『大きく濃く』がなぜ大事かというと、企業の偉い方は大概ご年配ですから(笑)‼大きくて濃い字のほうが好印象なのは、言わずもがなです(笑)。

そういえば私の就活当時、ものすごい数で企業を落ちまくっている友達がいました。すごく優秀な子なんですが、どういうわけか落ちまくりで。就活って、落とされると、どんどん自分自身の存在そのものまで否定されているような気持になりがちですが、その子は切り替えが早くてめちゃめちゃ前向きでしたね。『私を落とすなんて見る目がない』って(笑)。何社落ちても、どんなにドン底の就活でも、振り返ったら話のネタ。のちのち笑い話になります。もし、今、就活が辛いと感じている人がいらしたら、乗り切る極意は『いずれ笑い話にしてやるさ』ですよと言いたいですね。

仕事そのものは、どんな職種であっても、社員になってから覚えることばかりですから、『はじめから上手くできるヤツなんていないよ』と、良い意味で開き直るというか打たれ強くなったらいいんじゃないかなぁ、と思います。私の場合、大卒後に就職したメーカーでの仕事はディスプレイ専門職でしたから、最初の一年は見るに耐えないくらい下手くそでモタモタしていたので、しょっちゅう先輩に怒られていましたねー。それが続けていくうちに、段々怒られなくなり、褒められるようになり。初めて褒められたときは嬉しかったですねー。入社2年目には、月のうち半分は地方を回ってのディスプレイになりました。都内から関東近県、仙台、新潟、札幌、北見など……どこへ行くのも基本は単身出張。今のようにネットのない時代、地方出張の際には自分で行き方を調べて、チケット手配。ホテルも観光案内所に問い合わせて、安くて女性ひとりでも安心して泊まれそうなところを紹介してもらったり。食事も、知らない土地でひとりメシが常態で(笑)。失敗すれば自己責任だし、全てが自己管理。まぁメンタルが強くなりました(笑)‼‼就職して、はじめは怒られてばかりでもそれは当然のこと。怒られたと受け取らずに、自分は今、鍛えてもらっているんだと考えられたら良いと考えます。

――入社した会社を3年で退社されたことに関してお伺いしても良いですか?
自分が好きな仕事でしたが、人間関係がうまくいかなかったり、休みがとれなかったり、仕事に対する努力よりも我慢の比重が大きくなったり。なにより『ディスプレイも好きだけど、私は何かを書く仕事がしたい』という思いが強かったことですかね。いろんなことが重なったうえに内臓疾患が見つかり、入院・手術。入院中、いろいろな病気で闘病されている方々とお話ししたりする中で、『働きたいのに入院せざるを得ない人がいる。生きていたいのに病いで亡くなる人もいる。私は、手術を受けて悪いところがなくなったから、もとの元気な生活に戻れる。やりたくてもやれない人がいるのに、やろうと思えば何でもできる私は、今のままで良いのだろうか』と、まぁ、入院中またもぐるぐる自問自答をし続けた結果、自分の道はここではないと結論が出ました。とはいえ、辞めたら同期に迷惑かけるかなぁ、とも思いましたが、自分ひとりが欠けても会社は何とか回るものだし、なにより当の同期に「自分の道を生きなよ」と背中を押されて、退院後ほどなくして退社しました。私は自分がとことん悩んで出した結果であれば、その仕事を辞めるのもアリだと考えます。ただ、逃げ腰はダメですね(笑)。キャリアアップや自分自身のため、という前向きな考え方がないと自分が落ちていってしまうと思うので、後ろ向きには辞めない方がいいですね。


――企業で働くことと、フリーランスで働くことの違いはどんなところでしょうか?
単純に給料が出るか出ないか、ですねぇ(笑)。フリーランスはもう、がむしゃらにやるしかないです。ボーナスもないし、有給もないし、補償は何もないですから。休んだら終わり、みたいなところもありますね(笑)。向き、不向きは性格によると思います。私は毎日毎日同じ時間に同じ場所に通い続けることに苦痛を感じたりするので、我ながらフリー向きかと思います。こんな性格じゃ、学校教師にならなくて正解でしたね(笑)。フリーになってから、ディスプレイで地方回りをしていた頃の経験が活きて、何処でも何でも単独行動できることは自分の強みになりました(笑)。それに、何でも自分ひとりで頑張ろうとする性格は、フリーを続ける上では、ある意味大事だったりするんですよね(笑)。何が幸いするか、分からないものです(笑)。

忙しくも充実した日々を送る山田さんに学ぶ、人生のヒント。

現在、昼間は難病生徒の介助員として働き、夜には家庭教師。合間を縫ってクリエイターとしての仕事。
ライターとしては、雑誌やムック、PR誌のライター、映画レビュー記事や音楽雑誌でコンサート評など、さまざまなジャンルを書いています。また、イラストレーターとしては、学習誌の挿絵、旅行のガイドブックやチラシ、企業の刊行物、はたまた文字のデザインも行うなど、フリーランス期間30年余り『なんでもやる』というスタンスで幅広く活動されています。

――忙しいなかで、どう時間をやりくりされているのですか?
時間の使い方がうまいかと問われたら、全然うまくないですね。欲張りなので、面白そうと思ったらアレもコレも首を突っ込んでしまうので、結果まわりに迷惑をかけることはしょっちゅうで、反省ばかりしています。時間の使い方ということで言えば、とりあえず午前中を大事にしようとは心がけています。休みの日でも、午前中をどう使うかでその一日の充実感が違うかなと思うことがよくありますね。また、気持ちのリフレッシュには映画が欠かせないです。DVDでも良いのですが、家の中だとどうしても何かをしながらになってしまうので、どっぷり映画に浸れる映画館での約2時間が、私の精神衛生には本当に大事な時間なんです。もうひとつ、私には学生時代からのワザがあって(笑)。とにかく眠くて仕方がないときは、我慢せずに寝てしまいます。私のワザは数分間睡眠とでも言うべきか、一瞬で眠りに入れて、数分間で目覚めることができるというものです(笑)。例え5分でも眠れるとすごく元気になって、頭の切り替えがしっかりできたりします。

――最後に武蔵大生に、大学生活や社会に出る上でのアドバイスをお願いします。
やっぱり『よく学びよく遊びよく動け』ですかね(笑)。貪欲のススメ、というか(笑)。私は武蔵大学がすごく好きだったのですが、同期生の中には滑り止めで入った大学だからと、武蔵大学のことがあまり好きではないと口にする子たちもいて、私はそれがすごくもったいないと思っていました。何に対してもそうですが、場所を愛し、行動を楽しむことは大事なことだと思います。私は、何でもいいから好きなことを楽しんでやっていたら、それだけで何か広がっていくような気がするんですよ。面白くない、好きじゃない、と思いながらやっていたら、つまらないしもったいない。まわりに『それをやって何になるの?』と言われたとしても『別に何にもならなくたっていいんだよ』と答えます。私は、何かにならなくちゃいけない(確実な結果が得られなければ行う意味がない)という、いかにもな考え方は好きではありません。面白くやっていれば、そのうち何かにつながるかもよ?って思うんです。それは仕事にもいえることで、単純に楽しいと感じないと仕事も面白くありません。私は、ラクしてたくさん稼ぎたいとは思わなくて、自分がオモシロ楽しく、そして一生懸命働いた対価としてお金を得る、ということが好きなんです。仕事もそういうことが大事かと思います。


ここには書ききれなかったことも含めて、山田さんには面白くてためになるお話をたくさん聞かせていただきました。世の中の常識や、周囲の反応を鵜呑みにせず、自分で考え、自分の気持ちに正直に決断をしていく、そんな生き方に刺激を受けました。最後に記念写真を撮らせていただくときも、「普通に撮ったんじゃつまらない。何か楽しいポーズで撮ろう!」と提案してくれた山田さん。私も山田さんのように、面白いことをやってみよう!というスタンスで、大学生活を送っていきたいと思いました。
お忙しい中取材に協力してくださった山田さん、本当にありがとうございました!



【社会学部 3年 今野 2年 雨池・小保方・芝山】

 

 

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