課題レポートがエッセイ調になってしまう者たちへ

2024年10月07日

まえがきのリリック、駆け出す文体、そして「チーズケーキアクティビティ」の誘惑______。

ライターズハイに抗えない大学生たちは、卒業までに学術論文らしい文章を書くことができるのか。いや、むしろそんなつもりはないのかもしれない。

 

学術論文を書くというタスクに取り組んでいるはずが、気づけばその内容がエッセイと化してしまう。

今回は、きじキジの中でそんな運命(さだめ)から逃れることなくそこに意義を見出す3人が「課題レポートがエッセイ調になってしまう者たちの会」として集い、自分たちのヤバレポートを披露しながら、互いに講評し合うというユニークな会合の様子をお届けする。

 

なお、本稿の参考文献として以下の文献を参照・引用する。

斉藤孝, 西岡達裕(2005)『学術論文の技法. 新訂版』(日本エディタースクール出版部)

・ほか、編集部員各自のヤバレポート切り抜き

 

〜事例1:きもい論理展開でしか得られない脳汁がある〜

〔対象者 社会学部4年さとう〕

 

最初の事例は、社会学部4年のさとうさんのレポートである。

日本社会における特定の現象を論じるはずの論文が、冒頭でいきなり文学作品の話に逸れてしまう。小説や映画など、自身の好きなものを提示し、レポートの主題に結びつけることで書き手のモチベーションを維持しているのだ。

※講義内容に関わる箇所は[シラキジくん]に修正してある。

【社会学系の講義の課題レポート】

 日本社会における[シラキジくん]を論じるにあたって、いくつかの文芸作品の話をしようと思う。

 

さとう

冒頭で小説の話をしちゃうんですよ。

 

なかたに

絶対に学術論文ではないですね笑

 

【さとうさんのレポート続き】

 ____と、ここで気になるのが同著者の短編集『ΔΔΔ』(200Δ年)との対比である。

 ____かたや200Δ年、かたや20XX年という発刊年を見比べて「[シラキジくん]についての時代の変化に呼応している」と端的に評してしまうことが強引だとしても、〔…〕[シラキジくん]を取り巻く状況の風刺的表現としてこれを捉え、議論の出発点にしたい。

〔下線は引用者による〕

 

さらにさとうさんのレポートを読み進めると、「と、ここで気になるのが」というフレーズが登場する。

なかたにさんはこの「と」がリズム的に不要だと指摘するが、さとうさん自身は特に意識していないそうだ。

このような「言葉のリズム」の問題も、レポートがエッセイになる原因の一つだと言える。

また、「かたや200Δ年、かたや20XX年」という部分では、「かたや」を連続して使うことにより、リズム感を重視していることが分かる。

 

なかたに

2連続【かたや】。これも完全にリズムの世界ですねぇ。

 

さとう

まあ、こうでもしないと論述課題にノれない人たちがいるってこと、知ってほしいよね。

 

このように、自分自身の文体に対するこだわりが、レポートをエッセイ風に仕上げてしまう一因となっているようだ。

 

〜事例2:語感がきもちいいか、きもちくないか、それが問題だ〜

〔対象者 人文学部4年なかたに〕

 

続いての事例では、人文学部4年のなかたにさんのレポートを紹介する。

会合の初めに、なかたにさんは「気合を入れて書き始めると、どんどんエッセイになってしまうんですよね」と語っていた。

なかたにさんが語る通り、日本語特有のリズム感や文体を大切にするなかたにさんのレポートの文章は、まるでTEDスピーチのようである。

 

【インタビューの記録〔英語訳前の原稿〕】

 ____インタビューは小さな公園で実施しました。カフェでインタビューをすることも考えたのですが、意外と食器の音がうるさいと教科書で学んだことを思い出し、カフェでのインタビューは避けることにしました。〔…〕しかし、私たちは完全に忘れていたのです。蚊の存在を。想定外の蚊が私たちを襲いました。気温の寒さから、蚊はいないはずだと思ったのに。

 

さとう

文章が台本っぽいというか、書き手の脳内にナレーターがいる感じ。

 

なかたに

もしかしたら自分で添削するときに、脳内で読み上げて気持ちいいかどうかで判断してるのかも。語感の良さ、リズム感とか。

だから、たしかにスピーチっぽいのかも。

 

 

なかたにさんは「脳内で読み上げて気持ちいいかどうかで判断している」と語り、スピーチ的な語感やリズム感を重視している。

その結果、レポート全体がエッセイのような雰囲気になってしまうのだ。

また、インタビューの記録には、「蚊の存在を忘れていた」という個人的なエピソードが挟まれていた。これは明らかに寄り道である。

 

 

そしてなかたにさんは、「本編の導入の部分を長く書いてしまう」癖があると語った。

自分の意見や感情を正確に伝えるために、自分と同じ景色を共有してから話を進めたい、そう思ってしまうのだそうだ。

 

【なかたにさんの「コロナ禍と家族関係」のレポート】

 2019年12月、新型コロナウイルスの感染者が報告された。あのときは、この新型コロナウイルスが、世界を巻き込むパンデミックに発展するとは、誰も予想していなかっただろう。

 ____私たちは、ステイホームの影響で、自由に学校に通えなくなったり、友達と遊べなくなったりするなど、〔…〕家族全員が、会社や学校に通っていた時間を、外出自粛の要請を受けて、家で過ごすようになったことにより、必然的に家族で時間を共にすることが増えたのだった。

 

さとう

【あの時は、誰も予想していなかっただろう】もなんかTEDすぎるし。

 

なかたに

だいぶスピーチしちゃってるなあ。

 

さとう

コロナ禍の客観的事実を並べつつ、やっぱり学生である〈私〉の視点、個人的経験をシェアしようとしている。

 

 

〜事例3:チーズケーキアクティビティ、自制心と個性〜

〔対象者 社会学部2年ミヤコ〕

 

最後の事例として、社会学部2年のミヤコさんのレポートを見てみよう。

彼女のコスプレ文化に関する調査レポートでは、「自制心」と「オタク的議論」の両立が特徴的である。

 

【社会学系のゼミの課題レポート】

 今回、私は、日本のサブカルチャーの一つであるコスプレに着目し、その流行に関する調査を行うことにした。コスプレは、個人が好きなキャラクターや作品に扮し、自己表現をする文化であり、その独特な魅力に多くの人々が惹き込まれている。私自身も、数年前からコスプレに興味を持ち、その世界にはまっていった経験がある。

 

さとう

なんというかね、極めて自制ができてる一方で、全体の議論の仕方が完全にオタク。

 

なかたに

絶対、足しげく現場に通ってる人ですよね笑 いいよなあ。

 

【ミヤコさんのレポートの続き】

 ____この調査では、コミックマーケットの更衣室利用者数の推移と Google トレンドによるコスプレに対する検索トレンドを分析し、コスプレの現状を客観的に評価することを目的とした。

 コスプレの流行がどのように変化しているかについて、丁寧な調査と分析を心がけ、客観的な結論を導きたいと考えている。

 

さとう

あとこの『おことわり』が誰よりも早かった。

筆者の人柄がにじむレポートって印象ですね。自制心とか文体の真面目さもキャラというか、らしさって感じ。

 

ミヤコ

無意識に〈エッセイを書いちゃう自分〉への言い訳をしちゃってましたね…。言われるまで気づかなかったです。

 

さらに、ミヤコさんの語学研修の体験記を紹介しよう。報告書は次のように始まっている。

 

【カナダ語学研修の報告レポート】

 最も印象に残ったのはチーズケーキを食べに行くイベントです。人生ではじめてチーズケーキを食べたので、この実践のことは一生忘れません。

 カナダで初めて入ったカフェもこのチーズケーキを食べるイベントで訪れたお店だった上、英語で注文する必要があったので非常に緊張しました。店員さんは非常に優しく、こちらのたどたどしい英語を適切に聞き取ってくれました。チーズケーキ自体もとても濃厚で非常に美味でした。

 このアクティビティ後にもう一度訪れるくらいにはお気に入りのお店になりました。チーズケーキアクティビティの後は緊張もほぐれ、他のお店でも堂々と注文ができるようになりました。〔…〕

 

さとう

1センテンスに1回【チーズケーキ】言ってる?

 

ミヤコ

この留学レポートは、真面目に書かなきゃ!みたいな感じじゃなくて、しょうがないな~書いてやるか~みたいな感じで書いたので、だいぶハジケてますね。

 

さらに話題となったのは、「チーズケーキアクティビティ」という独自の用語だ。なかたにさんは、この言葉に大笑いし、「なにそれ!?新しい言葉を生み出しているところ、本当に笑える」と語った。

このレポートは、「MCV(武蔵コミュニケーションビレッジ)」という武蔵大学一号館三階にある場所に実物が存在しており、ミヤコさんも「公開されていることに驚きと照れを感じている」とコメントしている。

 

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