河童?豆腐小僧?武蔵の『妖怪先生』インタビュー!

2016年11月07日


武蔵大学には河童やろくろ首、妖しくも魅力あふれる日本の化け物。そんな妖怪について研究する教授がいるとか……。気になった編集部員が、研究室に突撃してきました!

今回の記事は、人文学部日本・東アジア文化学科教授 アダム・カバット先生のインタビューです。
アメリカご出身の先生が、どうして日本の妖怪を研究されているのか?気になる研究内容まで詳しくお話を聞かせて頂きました!


◆偶然だった日本文学との出会い

――まず、アメリカご出身のカバット先生が、日本に興味を持ったきっかけを教えてください。

アメリカの高校が好きな授業を選択できる制度で、たまたま中国文学の授業を受けました。それも興味があって登録したわけではなく、空いているのがそこしかなかったから、正直に言うと仕方なくでした(笑) 

読んでみて、これは面白いな、新しい世界だなと思いました。その先生は私が本が好きだというのを知って、15冊の日本文学の英訳本を私にくれました。まだ持っていますよ。これは川端康成の『千羽鶴』、これは『源氏物語』の最初の方だけ……これは捨てられませんね。私が初めて読んだ日本文学です。今まで読んだ文学とは感性が違って非常に面白かったです。

それで夏休みに、源氏物語が特に面白くて続きが読みたいなと思って、古本屋さんで英語の源氏物語全訳をみつけて、すごく安かったものだから買ってしまいました(笑)
それを読んで、すごく日本文学が好きになって、それから英訳の日本文学を読み漁りました。


――読んでいた本は、日本の古典文学の類だったのですか。難しく感じませんでしたか。

古典から近代文学まで、日本の文学なら何でも読んでいました。

こないだ高校生の教科書を見る機会があったのですが、古典はぜんぶ抜粋でしたね。前後関係を説明してないので、ストーリーの面白さがまったくわからない、文法を説明するための文章。私は英語で全文読んだのですが、古典文学でも現代の英語になっているので読みやすかったです。日本の高校生とは全く違う感覚で、普通の小説のように読めたと思います。
つまり何がいいたいかというと、入りやすかったと思うんですよ。日本人が感じる古典の壁は私にはなかった。

それで、大学では日本文学を専攻しようと心に決めたわけです。とくに当時は今と違って、日本はあまり注目されていなかったので、相当変わり者だったわけですが(笑)

――なるほど。そうして大学でも日本文学を学ばれたのですね。



◆学びを止めない

本物の草双紙。 くずし字で書かれています。

――現在は日本の妖怪について研究されていると伺ったのですが、そのテーマに焦点を絞ったのはいつごろだったのですか。


武蔵大学で教壇に立ってからですね。

文学の中に河童が沢山でてくるのに興味をもって、授業でも取り上げたんです。近代文学の中には河童や妖怪がたくさん出てきますが、そのルーツはどこにあるのか気になり始めました。江戸時代には漫画のような草双紙というものがあって、そのなかには化け物の話がたくさんあることに気付きました。あまり研究されていないこともわかりました。それで草双紙の研究をされている先生の研究会に参加するようになりました。

そのためには、くずし字が読めないと駄目です。研究しようと思ったら、こういう字が読めないと駄目ですね。また日本語の勉強を始めたという感じです。


――くずし字についても、教壇に立たれてから学び始めたということでしょうか。

そう。教授っていうのもね、学生と一緒ですよ。勉強しなくちゃいけない。
立場が違うようですが、本質的にやることは全く一緒です。学ぶことを学生のときだけでストップしてしまったら、良くないですね。研究者として伸びなければいけません。
学生がレポート書かなければいけない様に、教授も本を書くし、締め切りがあります。学生が教授を恐れるように、教授が恐れているのは、編集者なんですよ(笑)


◆江戸時代のゆるキャラ?『豆腐小僧』

――草双紙の中の妖怪はどのようなものなのですか。

商業的に使われるものが多かったので、あまり怖くなく、可愛いものが多いですね。今でいう、ゆるキャラのようなイメージです。特に私は、『豆腐小僧』という妖怪を発見して、流行らせました。

豆腐小僧
豆腐小僧 (夭怪着到牒 2巻/北尾政美 画)
※国立国会図書館デジタルコレクションより転載

――『豆腐小僧』!たしか、映画もやっていましたよね。

それが私の研究を基にして作られた映画ですね。豆腐小僧は、まさにゆるキャラです。

たくさん草双紙を読むうちに、なにか豆腐を持つ化け物がたくさん出てくることに気付いたのです。共通点は笠をかぶって、豆腐が載ったお盆を持ち、豆腐の上に紅葉のような印。これが豆腐小僧という妖怪だというのが分かったのですが、民俗学関係の資料を読んでもそんな妖怪は出てこない。
これは私の仮説なのですが、河童やろくろ首のような伝承から生まれた妖怪と違って、豆腐小僧は人工的に作られた妖怪なのではないか。誰が作ったのか、時期などはわからない。

豆腐小僧は歌舞伎にも登場します。いまでも漫画が原作で映画化する作品はありますよね。メディアが作った妖怪には、他にも鬼娘がいます。見世物小屋に鬼の顔をしている娘がいて、その宣伝のために本をつくったのです。
200年前にどのように商品を売り出していたのか。本で見た鬼娘を見に、見世物小屋にいくのか、逆のパターンも考えられますよね。私はそういったところに関心があります。

――今でもメディアミックスは流行っていますが、江戸時代にも似たようなことが行われていたのですね。

そう、まさにメディアミックスですね。江戸時代からそういった発想があったのは非常に新鮮に感じました。
ゆるキャラのようなものが、日本人は好きみたいですね。日本人はなんにでもキャラクターをつけますが、それが少なくとも江戸時代まで遡っても同じようなことが行われていたと思います。

――江戸時代に、こうした妖怪がたくさんメディアで取り上げられるブームが起こったというのは、なにか理由があったのでしょうか。

研究室は河童がたくさん!

それは明らかではありませんが、一つ言えるのは、化け物が心から怖いものだと思われなくなったことが原因ではないでしょうか。
要するに、あまり信じられなくなったのだと思います。呪いなどが本気で恐れられていた平安時代などでは、こうした可愛らしい妖怪をつくれるわけがないので。

また、こうした日本の妖怪はすごく人間臭くて、西洋でみられる、人間世界とかけ離れた化け物とは異なっています。人間に近しいけれども、人間ではないモノというところも、魅力的なポイントだと思いますね。

草双紙に関していえば、化け物というのは格好の材料であったと思います。口伝えでは分かりにくかった伝承が、絵と文章で伝えられるわけですから。出版技術の進歩と相まって、元の伝承から発展した妖怪たちが、親しまれるようになったのではないでしょうか。


――気になっていたのですが、先生のデスクにある置きもの、すべて河童ですね!

そう、ぜんぶ河童です!

泉鏡花も河童について小説を書いていて、同時期に芥川龍之介も『河童』という小説を書いていました。私のお気に入りの妖怪でもあります。

 


◆コミュニケーション力が強み。武蔵大学の学び


――カバット先生のゼミではどのようなことをやっていますか。

専門のゼミの日本幻想文学演習では、近代文学の幻想的な作品、谷崎潤一郎、江戸川乱歩、泉鏡花などを読みますね。もう1つの古典文学演習では、近世の江戸時代の草双紙を読むという内容です。

――1988年より武蔵大学に勤めていらっしゃるということですが、武蔵大学の良いところなどはありますか。

もちろんありますよ。本当に武蔵大学に勤められて良かったと思っています。

小さな大学なので、学生は先生と話しやすく、逆に先生も学生と話しやすいですね。コミュニケーションがちゃんとできるというのは、文学や文化を教えるというときには大事です。技術を教えるのではなく、感性を共有する。感性って教えるものではないので、どう感じるのかというコミュニケーションがとれないと上手く授業ができないです。

また、特に武蔵大学の人文学部は卒業論文に力を入れていますね。4年間の学びが形になって残るというのは、学生にとって人生の1つの大きな節目になるのではないでしょうか。また、学生と1対1で話し合って、卒業論文が形になっていく様子を見ることは、教育者としても楽しく、嬉しく感じています。
もしかしたら外から見たら地味な大学、という印象はあるかもしれないけれど、大学ってやっぱり人間じゃないですか。建物や設備が立派とかそういうものではなくて、最終的に人間的な関わりが大事だと思うので、良い大学だなと思います。

――受験を控えた高校生のみなさんへ、コメントをお願いします。

いろんな大学が増えて、大学選びは難しい時代だと思いますが、自分に合った大学を選んでほしいと思います。
学びの中では、技術は後からでも身に付けられますが、感性や物を見る目を養うことも大事です。私は日本語ができれば日本文学ができるというわけではなく、技術を超える感性が必要だと実感したので、そういったことも学んでほしいですね。
また、人や好きなものにたくさん出会えることも、大学の良いところだと思います。高校生のみなさんには、羽を広げて出会いを楽しんでほしいですね。

――カバット先生、お忙しい中ありがとうございました!


カバット先生は初対面でも優しく、ユーモア溢れる口調でインタビューにお答えいただきました!
妖怪というテーマももちろんですが、先生の授業が人気なのも、人柄によるものなのかもしれませんね。

しかし、穏やかな人柄の中にも、学問への情熱と探求心はひしひしと感じました。
「研究者として伸びなければいけない」――面白いと感じたことをとことん学ぶこと、そして学びを止めないこと。
私は学生ですが、学問を学ぶものとしてもっとこだわりを持ちたいと思いましたし、卒業しても学び続ける人でありたいと思いました。

 

(社会学部 3年浜野 2年川嶋)

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