学生&卒業生インタビュー第2弾【着物 × 国際交流事業・齋藤 優見さん】
さて、学生&卒業生インタビュー第二弾は、Kimono World Life株式会社を立ち上げ、着物を使った国際交流事業を行う齋藤優見さんにお話を伺ってきました。
KimonoWorldLife株式会社 代表取締役社長
2003年 武蔵大学 経済学部卒業
2008年 アソシエーション Kimono Club Barcelona 設立
2010年 ISB公共未来塾ソーシャルビジネスコンテスト 入賞
2011年 Kimono World Life 株式会社 設立
(Kimono World Life㈱公式HPより http://kimonoworldlife.com/ )
齋藤さんが提案する、着物を使った国際交流とは |
Q.Kimono World Life㈱の事業内容はどのようなものですか?
現在私たちの会社は「『ふだん着物』を使って新しいコミュニケーションを創造させる」という共通のテーマのもと、国際交流事業とスタイリスト事業の二本柱でサービスを提供しています。
私はスペインに滞在していたとき着物に目覚めて、向こうでNPO活動をしながら着物の文化や日本の文化にも興味を持ち始めました。着物を通じてコミュニケーションを取っていくことで異文化理解について考えることができ、私自身とても成長したと感じました。
ですから、帰国後にこれらの経験を仕事として活かしていくためにはどうすればよいかを模索しました。私が経験した「着物を使った国際交流」を追求していった結果、今のビジネスに辿り着きました。
事業の一つである「国際交流」は、ツアーで現地の人たちと一緒に国際交流していくというもので、単に遊ぶのではなくジャパンエキスポの展示会のブースを一緒に運営するなどの深い交流を重視しています。いわゆる「テーマある旅」「海外ボランティア」といった形の企画運営です。
また、この国際交流事業では留学生を受け入れている大学に対して着物の講習会をしています。私が考えるのはツアーにおいてもワークショップにおいてでも草の根の国際交流なので、日本の学生たちに「もし外国人に着物の着方教えてと言われたらどうする?」というテーマで着物を教えます。
これらが着物で国際交流の内情ですが、弊社の国際交流は他社とは少し視点の違う形で交流を促しています。その視点とは“日本人の学生が外国人留学生に”または“外国の留学先で日本人が外国人に”自分の言葉で日本を伝えることを前提にしていることです。というのも、国際交流を行おうとする多くのプロたちが日本文化を知ってもらおうと海外へ文化を発信していくため、外国人は日本の文化を私たち日本人よりもよく知っていることが多々あります。期待を胸に日本へ行っても、しっかりとした作法で挨拶をしたときに「そんなことしなくていいよ」と笑われたら、思い描いていた日本とのギャップに大好きが大嫌いに変わってしまう。そしてその感情のまま母国に帰っていく、または他のアジアに流れていく。そのような学生を実際に知っているのでそれは嫌だなと思っています。
聞いていてとてもショックですね。
そうですよね。それはやはりまずい、ということで始めた「着物で国際交流」なのです。
生身で経験した日本の良いところや文化を自分の言葉で諸外国の方に伝えていく、草の根こそがギャップの少ない国際交流として大切だと思っています。
もう一つの「スタイリスト事業」も実は国際交流から生まれたものです。私はスペインで急に着物に目覚めたけれど、着物は買えませんでした。スペインへ行くときに、今は亡き祖母から「外国へ行くのなら一枚くらい着物を持っていきなさいよ」と普段着の着物を持たされていました。普通なら晴れ着を渡すところですけどね(笑)だから唯一持っていた着物は地味でかわいくなかったのです。
着物を海外で着る機会があるだろうかと思っていましたが、外国生活に慣れてくると「着物を着てみたい」という衝動に駆られたので不思議です。祖母から渡された普段用の着物を着て町へ出てみました。始めの私のコーディネートはTPOもちぐはぐでおしゃれとはかけ離れたものでした。
当時日本ではかわいらしくアレンジして着物を着る『kimono姫』という雑誌が出ており、これにも影響を受けました。スペインには派手なもの、かわいいものがたくさんあったのでこれなら憧れのスタイルが出来ると思い、 帯締めや帯揚げを自分の持っていたベルトやスカーフ、はぎれを使ってアレンジして身に着け始めました。これによって自分の中で着物に対するハードルがグッと下がったことは言うまでもありません。
「道具がないのならあるものを活用して着物というファッションをとことん楽しもう」という考え方が私の中で生まれ、これに共感してくれた人たちが集まってバルセロナでKimonoClub Barcelonaという NPO団体を作り、今ではメンバーが500人程になりました。初めはバルセロナのみで活動をしたのですが、マドリードとバレンシアと支部まで出来て、どんどんふだん着物の輪が広がっています。
私のスタイルでは日本ではまだ認知度が低いため、やってはいけないレベルの着方だと思う方も多かったのですが、私がこのスタイルで日本の学校や講演会へ行くと、だんだん「私もコーディネートして欲しい」という声が上がり始めたのをキッカケに着物スタイリングのサービスも開始するに至りました。私の元々の専門はカラーコーディネートなので、それも功を奏しました。若い方には着物をまとう際に、例えば国際交流の場があるのであれば、ちょっと自分流にアレンジして着てみるのもいいのでは、とコメントしたりもしています。
伝統的な着物の着方とはまた違った提案をすることで、ふだん着物と伝統的な着物、どちらも楽しんでほしいということですよね?
その通りです。TPOに合わせてファッションだったり伝統着も着こなしていってほしいです。本音を言うと、着物の産業は衰退してきています。日本文化から普段着物がなくなってしまうことは悲しいことです。立派な着物を博物館で残すのではなく、日常着て残していきたい。というのが私の想いです。
起業に至るまで |
起業に至るまでのこと、学生時代のことなどもお聞きしたいと思います。
Q.どうして武蔵大学を選んだのですか?
討論が出来るところと言えば、ゼミの武蔵です。それで武蔵大学に決めました。武蔵大学で経済学を学んで、経済学といっても経営学よりの、イノベーションのゼミに入っていました。
Q.大学時代から起業しようと考えていたのですか?
私の大学時代の夢は、色を使った仕事でした。ショーウィンドウのような小さい空間のデザインをしたいと思っていて、カメラを持って街へ出てショーウィンドウを撮るなど、自分で研究していました。またゼミでも「色を変えることによってどうビジネスが成り立つか」などを研究していました。
カラーコーディネーターの資格も取りました。そのため「空間と色」を使った仕事がしたいと思い、就職先にインテリア関係を選びました。
学生時代に抱いていたものを、就職に繋げられたんですね。
そうですね。だから、第一志望に受かったといえば受かりましたが、二年半くらいでやめてしまいました。
それはどういったきっかけがあったのですか?
きっと私が新し物好きだからだと思います。働いていた当時、自分で提案したいことがあっても、大手だとなかなか実現できないなど葛藤がありました。その時に父がJICAでコスタリカへ行くこととなり、夏休みをもらって私も遊びに行きました。
コスタリカという国自体は、ジャングルです。自然界の色は美しいけれど目新しいものはありません。ただ、そこで生活なさっている方はとても前向きで輝いていました。「これは自分になかったな」と思い、自分の好きな仕事をしているのにも関わらず色々と悩んでいることが馬鹿らしくなりました。支援を行っているJICAの日本人の方たちは「なんとかするんだ、この国を!」という闘志に燃えていまして、とても刺激を受けました。
日本に帰って、ただその思いだけですぐに辞表を出しました。相当止められましたが辞めてしまって、父の任期がまだ一年残っていたので、再び父の元へ行きました。
では初めはコスタリカで活動なさっていたのですか?
本当はコスタリカでカラーの提案をしたかったけれど、なんせ言葉もわかりませんでしたので「ラテンの色を学ぼう」と、自分の中で留学に切り替えました。向こうの自然の色やトータルコーディネートがどうなっているのか、お宅を訪問し拝見させていただいたりもしました。壁一つのデコレーションでも様々あり、色を塗ったり、絵を描いたり、字を書いたりと、それはもう沢山!お金がないからデコレーションが出来ないのではないとそれを見て思いました。生きる輝きというのは物やお金ではなくて、自分で思ったように変化させていくものだ、色のパワーはあったのだという根本に戻っていったんですね。
そういった勉強をしていたこともあり、現地の方とたくさん話をしました。やはり、日本人として様々な質問をされます。そうしたときにあまり日本について話すことが出来なかったことから、自分の学んできたカラーコーディネーターの知識はアメリカの知識だと気付きました。日本の伝統色についても勉強しましたが、その発祥元やどういうところが美しいのか、何処で使われているかなどは学んでいなかったというのがコスタリカへ来てからの最初の勉強でした。
Q.起業を決めたきっかけとは何だったのですか?
当時NPO活動を行いながら暮らしていたスペインのバルセロナから日本への帰国を決めたときです。両親の介護が必要になり、思い切って帰国をしようと決めました。活動をもっと大きくできないかとも考えていたので、日本に帰り大学で学んだことを思い出しながら、創業塾に通い勉強をしているうちに、起業出来ないかと考えるようになりました。
そのとき内閣府主催のソーシャルビジネスコンテストというものが初めて日本で行われ、そこで賞を頂きました。その賞金を資金にして起業しました。
経済学部だったと伺っていたので、大学生の頃から起業をお考えになっていたのかと思いましたが、色々な道のりがあって結果として学んできたことが活かせる形になっていったのですね。
目の前のものに飛びついて行ったというのが正しいかなと思います。結局元に戻って、空間のコーディネートが着物のコーディネートになりました。でも、コンサート、展示会などその人が作り上げる全ての空間を、着物のコーディネートを通してやっているのかなとも思っています。
お客様とお話しするときに「どんなスタイルになりたいですか」だけではなく、いつ、どこで、どんな方が来るのか、その空間は何のために作るのか、など全体をヒアリングしながらコーディネートを考えています。
それはカラーコーディネーターの勉強、入社した会社での空間コーディネート、それから経済学の知識、国際関係の比較など色々な経験がきっと今の提案の仕方に繋がっているのだと思います。
齋藤さんのビジョン、KimonoWorldLife(株)のこれから |
Q.現在、始めてみたいと考えていることはありますか?
会社を建てる時からずっとやりたいと思っている事は一つあります。それは、世界の「着物パスポート」を作ることです。
現在京都にあり、このパスポートがあると着物で行けば様々な店舗で特典が貰えます。その世界バージョンを作りたいです。
2020年にはオリンピックが東京で開催されます。ということはこの7年で日本への注目は否応無しにくるでしょう。それをきっかけにもっと多くの方が日本の文化を楽しんでくれることを期待しています。世界各国に、着物クラブはあり、現地の人が運営している場合も、日本人が運営している場合もあります。そういう人たちが京都の着物パスポートのように自分の地域でパスポートを作って、それを私の会社がまとめられたらいいなと思っています。
そこでネットワークが出来ていきますね。着物は日本で着るものという考えが私の中でありましたが、海外で着物もいいなと思います。
楽しいですよ。バルセロナを散歩していたとき、何十回も写真を一緒に撮ってほしいと言われました。おじいちゃんに誘われてコーヒーを奢ってもらったこともあります。やはりそういう出会いはおもしろいです。いつ実現するかわからないけれどやってみたいことですね。
学生へのメッセージ |
Q.将来を考えるにあたって、学生はこれからどんなことをしていけばいいと思いますか?
私が大学生の頃は、学生ベンチャーと言えば銀行がたくさんお金を出してくれた時代でしたので、インターンシップや異業種交流会に行っていました。しかしそれが実を結んだかと言われると、必ずしもそうではないのでおすすめはできません。というのも、私は運良く犯罪には巻き込まれなかったけれど、お金がすごい勢いで右から左へ流れて行く世界なので何があるかわからないからです。
起業をしたいのなら様々な経験が武器になるので、挑戦してみてもいいと思います。しかし起業を目指していないのなら、多くの人と話して、“自分は何がやりたいのか”という今の段階の答えを出してほしいと思います。その答えは三ヶ月に一回くらい変わっていきます。しかし答えを出さないまま次に行くと方向も見失ってしまいます。
一番してはいけないのが一人で悶々と考えて答えを探すこと。これはダメですね。ど壷にはまる一方です。これとは逆に考えながら人に自分の考えを話すことの方が正しい答えが見つかると思います。人に話すと、頭の中で思っていたことと、違うことを話していることが多々起こります。これが良いのですよね。考え方がまとまり始めた証拠です。理想を描いている頭の中と、現実レベルで話している言葉のギャップを自分自身でつかめた時、良い考えやアイデアがまとまります。これを繰り返すことで、だんだん自分の答えになっていったりすると思いますよ。
Q.最後に、学生のうちにこれはやっておいた方が良いと思うことはありますか?
一人旅ですね。日本でも海外でもどこでも、知らない土地への一人旅。楽をしない旅です。一人になると、ピンチな時が必ず出てきます。私の経験上、ピンチになって初めて自分に自信が持てると思います。一人で旅をすると喋らないといけないですから。そういうときに人の暖かみやシビアな部分を感じます。色々な状況があるので、それを是非経験してもらいたいと思います。
今回、武蔵大学経済学部の卒業生で起業家の方へのインタビューということで、社会学部の私たちは「経済学部を出れば起業ができるのか!」と安易な考えを持ってしまっていましたが、齋藤さんのお話を聞いていく中で、学生時代のこと、コスタリカで感じた日本への思い、着物への思い…さまざまな経験を通して少しずつ自分に何が出来るのかの答えを出し、今のKimono World Life株式会社を立ち上げるに至ったのだということを知りました。
学生へのメッセージでも語って頂きましたが、自分が今何をやりたいのか、今この段階での答えを出すことが大切で、方向が変わっても回りまわって自分の様々な経験が助けとなることがある。まさにそうした生き方をされてきたのだなと感じました。
きっとこの記事を読んでくださっている読者の方は、私たちと同じ10代、20代の狭間で今まさに自分の将来に様々な思いを巡らせている時期だと思います。自分の歩んできた道から外れることは大変勇気のいることですが、これがやりたいんだと思ったことを貫き通せば見えてくる道もあるのではないでしょうか。
(社会学部2年 松枝・大前・秋田)