学園記念室を巡ろう!【武蔵学園創立100周年】
この記事の公開日、2022年4月17日は武蔵学園創立100周年の記念日です。おめでとうございます!
▲代理出席:シラキジくん
「ふ〜ん、そうなんだ、それより空きコマの時間暇だな」と思ってるそこのあなた!
この節目の年に、せっかくなら武蔵学園の歴史を知ってみませんか?
武蔵の歴史をサクッと学べる資料館が、大講堂にあるんです。
〜雪の日に撮ってあった大講堂〜
その名も「武蔵学園記念室」。
筆者もつい最近まで知らなかったんですが ここ、結構面白いです。
下のような問いへの答えは、この後すぐ!
「武蔵大学はなんでシラキジを推してるの?」→「武蔵と『シラキジ』」
「大学3号館古くない?いつからあるの?」→「3号館、強すぎる」
武蔵学園記念室は、「学園史料室」として1994年に設立されました。
記念室の仕事には、歴史資料などの収集や整理・「武蔵学園百年史」の編纂・企画展示・外部対応があるそうです。
そしてもう一つが、武蔵学園百年史サイトの編集。
▲創立100周年を迎える日までは、カウントダウンが行われていました
貴重な写真が満載で面白いです。ぜひ読んでみてください。
詳しい武蔵学園の歴史を紹介すると記事が長くなってしまうので、(百年史サイトや展示をチェック!)
ここでは、筆者が気になった展示をピックアップしてご紹介したいと思います。
武蔵大学の前身、旧制武蔵高等学校で使われた、初期の入試問題。
▲観察力試験「与えられた三枚の葉をしらべて異なっている諸点をあげなさい。」(1922)
まさかの実物を使った入試問題。問題作成=葉の採取。
「観察力」の重視は、今の武蔵中学の入試にも受け継がれているそうです。
昔の学生募集ポスター
▲経営学科 新設さる!(1959)
国際教養学部の広告をあちこちで見る今日この頃ですが、昔の広告はド直球。
医歯学部進学資格の得られるコースがあったとはすごいですね。
他にも「企画展示」として、撮影時は「江古田の読み方問題」についての調査レポートがありました。
確かに「江古田駅」は「えこだ」なのに、「新江古田駅」は「しんえごた」なのは不思議ですよね…。
小さな疑問を本気で追求する様子、「トリビアの泉」感があって面白かったです。展示を見たい方はお早めに。
武蔵大学が全面に押し出しているキジ。
なんでキジ?と思ったことはありませんか?
私は「きじキジ」の部長を務めていながら知りませんでした。
▲みんな大好きシラキジ君。
▲元祖・シラキジ君。剥製が展示されています
由来は「続日本紀」(高校日本史でやったな…)の記述「神護景雲二年、武蔵の国より白雉が献上された」に基づくそうです。
そもそも、白い雉は自然にほとんど存在しないもので、朝廷に献上されるほどのおめでたいもの。
「めったにない存在を育てる」という意味で、白雉が武蔵のシンボルになったそうです。
さらに詳しく知りたい方は武蔵学園百年史「白雉縁起」から
https://100nenshi.musashi.jp/Story/Index/d94b4b14-f17d-470c-b3f5-6eea630e3e20
現在の大学3号館。武蔵大学の前身・旧制武蔵高等学校ができた翌年の、1923年からずっと変わらずにあるそうです。
▲武蔵学園のジオラマ。3号館を見つけてみよう
環七通りができたことで敷地が狭くなったものの、3号館は変わらず。
記念室には第二次世界大戦関連の展示も多くあるのですが、空襲で3号館の屋上には焼夷弾が打ち込まれたとか。
▲大学に落下した焼夷弾
関東大震災、東京大空襲、東日本大震災を乗り越えて、丈夫な鉄筋コンクリートの3号館は残っているそうです。
多くの学生にとっては「一番古い校舎」ですが、「一番歴史ある校舎」として少し違った見方ができるかもしれません。
ちなみに、もう一つ歴史のある建物として大講堂があります。
以前まで大講堂で使われていた椅子に座れるようになっていました。
▲なんと校章入り。高そう(小学生並みの感想)
大講堂と3号館は、練馬区の登録文化財に指定されているそうです。
地域の人に親しまれながら、今も使われているんですね。
▲最後に、2階外のスペースに特別に入らせていただきました
まだ紹介したいことの10%ぐらいしか書けていないんですが、きじキジがバーチャル資料館と化しそうなので今回はここまで。
記念室の方からは、「学生にもっと気軽に訪れてほしい」とのことでした!
空きコマなどで暇な時間、ちょっとした資料館巡りを楽しんでみてはいかがでしょうか?
武蔵学園記念室の方、取材へのご協力ありがとうございました。
武蔵学園記念室
開室日:平日10-16時
場所:大講堂2階
(1階事務室に声を掛けてから利用しましょう)
執筆:社会学部3年 てらだ
写真:人文学部2年 中村
※展示の撮影は、許可を得て行なっています。