【歴史探偵きじキジ】大学でシラキジを飼っていた話

〜ある日の部室〜

(編集部2年スドウ)昔、武蔵大学でキジ飼ってたらしいですよ。

(4年さとう)そうなんだ? いまは武蔵高中でヤギ飼ってるみたいだけど。

「昔、大学の濯川のほとりでキジが飼われていたらしい」と何かの授業で先生が言ってた、って僕の友達が言ってた気がします。

伝聞すぎじゃん?

 

唐突の会話はじまりにてご機嫌うかがってております、きじキジ編集部です。

 

さてそんなわけで、本企画〈歴史探偵きじキジ〉は、武蔵のちょっとしたオモシロ学園史を掘り下げるコーナー。

 

今回は編集部2年スドウの「昔、武蔵大学でキジを飼っていた」といううわさを調査していきます。

 

ご協力いただいたのは、武蔵大学・高中を含む武蔵学園の歴史を一手にあずかる、武蔵学園記念室です。

大講堂の建物内にある資料展示ブース
(参考 根津育英会 武蔵学園百年史 特別サイト

 

きじキジで過去、シラキジの剥製があることは取材済みですが、実際に生きたキジを飼っていた、という話は初耳。

記念室長・井上さんにお話を伺いました。

(事前にお願いして、関連資料もたくさん集めていただきました。ありがとうございます!)

 

それで、「大学でキジを飼っていた」といううわさですが………、

ええ。昔の父母の会の会報に、白いキジのつがいの写真がありましたよ。

飼ってた!

平成8年(1996)6月に、純白種のキジのつがいが寄贈されて、しばらく飼育されていたようです。

ですが、これ以降にどうなったのか、何年間飼われていたのか、記事や記録といったものは今回見つかりませんでした。

そうですか………。でも、本当にキジは飼われていたんですね!

おそらく、根津研(大学北側の「根津化学研究所」)の裏なんかで飼っていたんじゃないかと思いますよ。

7号館や9号館の近く、根津化学研究所

「根津研の裏」とはここのこと?

(あれ、友達が言ってた「濯川のほとり」は勘違いだった………?)

 

余談:根津研そばの植え込みに施された、3匹の鳥のレリーフ。「前からオス、メス、メスの白雉」(大学施設課)だそうです。やはり大学北側エリアでキジが飼われていた証拠………?

動物といえば、いまは武蔵高中のほうでヤギを飼っていますよね。あの活動も、歴史が長いんでしょうか?

(参考 『やぎになれ』に込めた思い 武蔵の群れない気骨|NIKKEIリスキリング

高中で動物を飼っていた、という話に関しては、「豊作会」という団体の資料があります。

豊作会
(武蔵学園百年史 特別サイトより引用)

撮影時期不明、鶏などを飼育する校友会「豊作会」。うまい地鶏を食べたいという教員が生徒と共に鶏を飼い始めたが、飼育にあたる生徒は食用にする事を断固として拒絶、以後は鶏を飼育する校友会として存続した。
1990年代の鳥インフルエンザ流行により豊作会の活動は幕を閉じる。
豊作会で飼育をおこなったのは1980年代、シャモが最初でした。食用のニワトリを育ててみよう、といって飼い始められたようです。

それが、だんだんと愛着が湧いてしまって、食べられなくなって、鳥の種類が増えて………という成り行きですね。

なるほど。「命の授業」みたいなエピソード笑

飼育の活動も、だんだん生徒が主体的になって、それが間接的にいまのヤギ飼育につながっている、といえるでしょうね。

 

おもしろい話では、当時、ニワトリの卵を職員室で売って飼料代を稼いだこともあったみたいですよ。

そうでなくても、先生方もニワトリに情があるから、貯金箱にときたま1000円札を入れてくれる、というような感じで。

完全に学校のマスコットですねえ。

ニワトリのほかにアヒルなど、高中側の濯川のほとりでいろいろ飼っていたみたいですよ。

(あれ、ってことは………、)

(僕の友達が言ってたうわさは、こっちの話だったんですね笑)

 

そういえば、資料室の展示を見ました。それで、気になったんですけど………、

過去記事『学園記念室を巡ろう!』より

旧制高校のカリキュラムについて、自然科学とか生物学の展示が多いですよね。白雉といい、豊作会といい、学園の校風としてそういう関心が高かったんでしょうか?

観察ノートの展示のことですね? それなら、和田八重造先生の話をしましょうか。

 

和田八重造講師
(武蔵学園百年史 特別サイトより引用)

撮影時期不明、和田八重造講師。和田講師は自然科学全般に広い見識を持ち、教え子は「博物学者と呼べる最後の人物であった」と述懐している。武蔵高等学校においては地質鉱物、自然科学、理化(物理と化学を統合した科目)を担当した。
当時(1940年代)の学校の勉強というのは、教科書を書き写して、そのとおりに覚えるのが一般的でした。

そこで、和田先生は「それだけじゃつまらない」と思い立って、生物の観察とスケッチを独自に取り入れられたんです。

とある生徒さんの実際のノート

一年分の授業ノートでこの分厚さ………!

このノートは、ちかぢか博物館に貸し出しする予定なんですよ。

めちゃくちゃ納得です。すごく丁寧。

 

生徒に畑作りを指導する和田先生
(写真中央、カンカン帽子の人物)

生物観察だけじゃなく、課外授業で生徒に畑作りを実践させたり、いろいろなさっていたようですよ。

へえ、興味深いというか、ちょっとうらやましい………笑

 

 

と、そのとき、ふと後ろから声がかかって___

 

和田先生ね、おもしろい人だったよ。

ああ、そうですよね。和田先生の生徒でいらしたんですよね、福田さん。

 

お声がけいただいたのは、記念室名誉顧問・福田さん。たまたま同室で作業されていました。

 

武蔵高校の卒業生にして、元・武蔵高中校長でいらっしゃいました

 

和田先生の授業は、どんな感じだったんですか?

山上学校といって、軽井沢なんかで2、3泊して、野っ原を歩いてまわることもあった。

楽しそう………!

1942年、山上学校を指導する和田先生
(註:この写真すごくいいな………)

和田先生のご専門が地質学・鉱物学だから、生物だけじゃなくて地面の土の話ができる。ふだんの授業でも浅間山が噴火したときは、火山灰の話をしてくれたり。

本当の意味で、自然を相手に「博物学」ができる先生だった。なかなか出会えるものじゃないよ。

学園百年史のウェブサイトに載っている写真、ちょうどその頃のものかもしれないですねえ。

じゃあ、この山上学校の写真って………、

僕が映ってるかもね、もしかしたらね。

(れ、歴史だ………!(心の声))

あんまり拡散しないでよ、恥ずかしいから笑

いえむしろ、そのために取材にいらしてるんですよ笑

〜後日談〜

さて編集するか………。

(調べもの中)

ん、これって………?

 

1992年、山上学校を指導する福田さん(写真奥、ハンチング帽の人物)

(れ、歴史だ………ッ!!(心の声))

 

ということで、以上「武蔵学園といきもの」昔話でした。

 

今回の調査結果(だいたい時系列順)はこちらです!

≫1940年代
和田八重造先生の指導による自然科学教育・山上学校

≫1980年代
武蔵高中の学内団体「豊作会」がニワトリなどを飼っていた

≫すくなくとも1992年
元校長・福田泰二の指導による山上学校

≫1996年〜
大学構内で白いキジが飼われる

≫2024年現在
高中の団体「やぎの研究」がヤギを飼っている

 

 


編集後記

事前依頼のために資料室を訪れた日、ちょうど職員の井上さん以外の方は出払っておられました。

なので元校長・福田さんが名誉顧問として勤めていることも、ましてや「武蔵学園といきもの」というテーマのいちばん深きにいらっしゃると言っても過言でない方だということも、取材当日にはじめてわかったことです。

今回の企画では学園史をフィーチャーしていただけに、思わぬ登場人物、嬉しすぎる誤算でした。「あ、物語が動いた。」と肌で感じるあの瞬間、うまく記事に起こせていればいいのですが。

私事ですが、編集者はここ近年テレビシリーズ『映像の世紀 バタフライエフェクト』(NHK総合)を好きで観ておりまして、あの感じ、歴史の点と点が線になってドリフトしていくライブ感を、生で味わえて最高でした。

「歴史探偵きじキジ」、盛大なサムネイル詐欺をもってしての幕開けとなってしまいましたが(コ〇ンファンごめん)、なんとなくシリーズっぽく続けていきたいと思うので、各位よろしくお願いします。

編集者個人としては、本文にも出てきた「根津化学研究所」の建物内部をおがむまでは続けたいっすね。あれほんとに、入ったことある学生いないんじゃないですか、たぶん? 4年間もキャンパスに通いつめてきて、まだまだ未踏の地だらけです。

(文責 4年さとう)


取材協力 武蔵学園記念室

取材・執筆・編集 社会学科2年スドウ

メディア社会学科4年さとう

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